ボンボニエールと金平糖と織田信長とベルグソン
■金平糖と織田信長とボンボニエールとベルグソンの関係

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◆紀宮さま、黒田さん結婚式。人柄映し、つつましく、指輪交換、ケーキ入刀なし<東京新聞05年11月15日より>
・派手な行事は避けたいとの二人の気持ちと、皇后さまが紀宮さまを評した「控え目ながら、闊達(かったつ)に自分独自の生き方を築いてきた」という人柄が反映された。
二人の意向で媒酌人は立てず、結婚式の時間も二十三分間という簡潔さ。午後の披露宴も含め費用は両家が負担する。
・母から借りた和服に身を包んだ紀宮さま(36)<Sankei Web 2005-11-15>より
天皇、皇后両陛下の優しいまなざしに見守られ、新たな人生への第一歩を踏み出された。15日午後、東京都千代田区の帝国ホテルで催された紀宮さまと東京都職員、黒田慶樹(よしき)さん(40)の結婚披露宴。恩師らが紹介するユーモアあふれるエピソードに、会場には笑顔があふれる。「心安らぐ静かな家庭を築きたい」。そう抱負を語ったお二人の門出は、温かい祝福の言葉に包まれた。
招待者に渡された引き出物は、砂糖菓子(金平糖)などを入れる磁器製の小物入れ「ボンボニエール」。白地で、側面に紀宮さまのお印「未草(ひつじぐさ)」、ふたには黒田家の家紋にちなんだ「柏」が金と銀であしらってあった。
・ボンボニエールとは、フランス語でボンボン(キャンディーなどの砂糖菓子)を入れる小箱のこと。ヨーロッパでは子供の誕生祝い、結婚式などのお祝いの場に砂糖菓子が添えられることがあり、ボンボニエールが利用された。
◆織田信長と金平糖
金平糖が日本に初めて渡来したのは、永禄12年(1569年)、ポルトガルの宣教師『ルイス=フロイス』が織田信長に献上したもので、元禄頃(1688~1704年)には大坂で作られ、文政頃(1818~1830年)に金平糖の製法が江戸に伝わった。
江戸中期には、大名の茶菓子として金平糖は用いられていたが、明治時代には贈答用・来客用の高級菓子として一般家庭で用いられるようになった。<語源由来辞典>
◆金平糖(こんぺいとう)は、砂糖で作られる
表面に角状の突起による凹凸をもつ直径1cmほどの小球形をしている菓子である。表記は金米糖、金餅糖、糖花とも。語源はポルトガル語のコンフェイト(confeito)で、室町時代末期に日本に伝えられた。
特徴的なこの角がなぜ、またいくつ形成されるのかについてはまだ定説がない。<日本食万歳>
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◆石原慎太郎・東京都知事の祝辞
「フランスの哲学者・ベルクソンが『信仰と結婚は本質的に似ている。その本質の原理は一種の賭けだ』と書いています。何百万、何千万いるかも分からない男の中で一人、女の中で一人、これぞという方を選んで生涯の伴侶とする選択は賭けだと思います。やがてお子さまも生まれ、また慶樹さんは都の幹部として奥さんの支えの下に大きな業績を重ねていく、そういう素晴らしいお二人の賭けの『配当』に、わたしたちだけでなく都民、国民が相伴させていただくことを心から期待し、祈念します」
★信長はすぐ日本の菓子職人に「金平糖」作りを命じたがどうしても出来ない。それを見て信長は日本の技術力の低さを嘆いたとされる。
★「愛の飛躍("élan d'amour")」といった言葉を用いつつ、独自の考察を加えたアンリ・ベルクソン(Henri Bergson, 1859年10月18日 - 1941年1月4日)。ポーランド系ユダヤ人を父として、パリに生まれたフランスの哲学者<ウィキペディア(Wikipedia)>
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昨日の紀宮様の結婚式の引き出物:ボンボニエールに入った金平糖 2ヶ月ほど前に読んだ「信長の棺」のなかでも、重要な小道具になっていました。 [続きを読む]
受信: 2005年11月19日 (土曜日) 14時31分

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